caprinの更生日記

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消費がニ極化し、ゲーム市場は!? (東京葛谷商品生活研究所)

http://d.hatena.ne.jp/kuzudeth/20050921

そこで「ゲームという市場」に対してこの考えを当て嵌めて見ると、これからのゲームの話で言えばフェラーリの様な据置タイプを50万円で売り、高品質な携帯型マシンを10万で売っても良いという話にさえなるだろう。そしてそのハードで動かされるソフトも一本1万円から2万円でも、或いは10万円でも良いとなる筈だ(実際のところ、自分の体感ではもはや最低このぐらいの値段でなければ満足な物を作る事自体、もはや無理かとも思う)。当然、現時点では、流石にこの価格設定は無理であろうが、これからの二年、三年先は極端な「二極化」であり、可処分所得も上と下では倍どころか数倍もの差が開くのである。例えば年収1億の人間が2万円のゲーム機、それもこれまでの物と大差のないものを喜んで消費するかといえば決してそうではない筈だ。そうした彼らの支持を取り付けるには「ステイタスシンボル」たりえる物に「仕立て上げるべき」であり、故に、これまでの常識(中産基準)は捨ててしまうべきなのである。いうなれば「高級オーディオ」や「オートクチュール」の様に「選ばれた者達」だけを相手にするという事にしてしまうのである。これでやっとこ「ゲーム」が文化として誇れる物となるのである。大きな歴史的前進だ。

 なかなか興味深い話だ。Xbox360やPS3が近い将来発売されるに当たり、さらにそれ以降の未来のゲーム機像と経済を絡めた考察の切り口はなかなかおもしろいと思う。
 ただ、経済の話で「社会がニ極化する」というのはまったく同感なのだが、ゲームの市場が高級市場に単純に流れるか!?というとそう単純なものでもない気がする。
 まず、単純に本当に勝ち組みセレブ層がゲームを熱心にやるだろうか?という話。なんせ、お金があるのだから、車や旅行、レジャー、ファッションなど娯楽がよりどりみどり選べるわけであり、その中でわざわざゲームを選ぶ必要が見当たらない。確かに金持ちがPS2のグランツーリスモ4をやりたいがために、プロジェクターを買い、ハンドルを買い、バケットシートを買ってプレイする場合もあるのだが、そういう人はそのゲームのためだけに環境を整えたのであり、他のゲームも何本も買い揃えるということはそんなにしないと思う。年に何本もゲームを買うようなヘビーゲーマーというのは、結局、時間を自由に使える暇な大学生や高校生であり、そういうヘビー層を無視した単なる高級市場だけではさすがにゲーム市場は持たないと思う。
 また、客層に合わせた市場、つまり小学生低学年にはGBAなどの携帯ゲーム機を、小学生高学年にはGamecubeを、中学生以上でPS2などの住み分けがさらに細分化され、次世代機Xbox360やPS3においてメーカーはさらに上の大学生以上の客層を最初のターゲットとして狙っているのだろうが、だからといってさらにさらに上の大人だけで成立するゲーム市場というものはちょっと難しい。大人になって年収が増えれば増えるほど、本来仕事で忙しいはずであり、その渦中にある勝ち組み層なんかはそうそうゲームには構っていられないと思う。(勝ち組みはバイタリティがあり活発なので行動力はあるが、それでも限界はある。)
 そして、そもそもステイタスシンボルとして単にコレクションするためだけのゲーム機など、そういう存在はあってもいいけど、それはすでにプレイヤーとしての価値があるのかどうかも怪しい。たくさんゲームソフトをまわしてなんぼのゲームマシンにおいては、大衆に対して売れたゲーム達が文化としてのメインストリームとして信じたいし、勝ち組みの高級市場のみで作られたニッチなゲームにおいてこそ、ゲームが文化になり、歴史的前進になるとは個人的には思いたくない。

 まあ、高級な部品を使い、美しくコーティングされた高級アンプのようなゲーム機がチープな部品で作ったモノよりも美しいというのは当然だと思う。だが、それがすぐに文化の深みに繋がるかというとそうでもないような気がするなあ。例えば、NintendoDSよりPSPの方が機械的には圧倒的に美しいが、CPUがしょぼくても音声認識やタッチパネルを取り入れたDSの方が個人的に文化的なおもしろさでは今のところ勝っているように見える。もちろん、ゲーム機なので新しいソフトによりこの評価がひっくり返る場合もありうるのだが…。そして、そのハードとソフトのコラボレーションで生み出されるモノこそがゲームの文化として本来大事にしたいものでもある。20年前にマリオを文化だと言った奴はいないが、歴史の積み重ねで今はゲームミュージアムが作られる時代だ。

翻って「金持ち」というものは、そうした「無駄に凄い物」に金を出して育てる事を重んじる筈なので、真に文化のパトロンとなるのである。よって、そういった「真のスーパーリッチ達」を顧客に持つのはメーカーにとっても悪い話ではない筈だ。そして「潤沢ともいうべき資金」によって「ゲーム文化」「ゲーム技術」が更なる進化を遂げる事も間違いない。また、ハードが無ければソフトで遊ぶ事も出来ないのであるから、極端に高価なハードで商売する事は、中古ショップでソフトを売買するような(要はメーカーに利益をもたらさない)「何の発展にも寄与しない」ドロボウの様なユーザーや業界のダニの様な中古業者をまとめて一掃するチャンスであるかとも云える。そして貧乏臭さが染み付いてしまった従来機は中古市場と共に、その彼らに渡して差し上げてしまえばよい。但し、決して「新しい物」を安価で与えない方向で…である。

 ゲームを育てるという意味では、金持ちはハードやソフトを買うということだけでなく、作る側への支援、それはゲームファンドであったりオンラインゲームのインフラ整備であったり、ゲームを文化として育てるという意味であれば著作権の保護であったり、本当のゲームメーカーに対してのパトロンであって欲しいなあと思う。
 なお、ゲームを作ったソフトメーカーの利益にならない中古市場というものは改善すべきだが、中古しか買わないユーザーはドロボウで、中古業者がダニであるならば、それらを一掃した世界は、市場としては健全かもしれないが文化的には健全であるといえるのだろうか!?
 また、極端に高いハードが買えない場合、今度はネットカフェのような市場が大きくなる可能性もあると思う。中国みたいにパソコンを買えない低所得ゲームユーザーが1時間なんぼでパソコンを使いオンラインゲームをやるようなシステムだね。このシステムもゲームを延々とやり続けるとか、家に帰らないとか、事件に巻き込まれるとか問題多いんだよなあ。
 とにかくゲーム市場もある程度広がってしまった以上、誰も彼もが現状で気に入らないとことも出てくるだろう。だけど、勝ち組みにしか与えられないゲームや業界というのもなんだかとてつもなく寂しい話だ…。


(う〜ん、ちょっとまとまっていないので、暇な時に書き直す予定。)