いのちの奪い方 (シートン俗物記)
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080528/1211963763
「(自分が)生きていくためには、何かしらの命を奪わなくてはならない」と厳かに仰る方々は、しかし、自分の手を汚したりはしない。自分の手を熱い血に浸したりはしない。自らが奪った命の価値を推し量ったりしない。それは言葉に過ぎないのだ。
確かに自分たちは、何かの命を奪わなくては生きていけない。だが、どの程度その重みを感じている?むしろ、自分たちの行為を正当化するためだけに使われてはいないか?自分たちの後ろめたさを隠すために使われていないか?