caprinの更生日記

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秋葉原事件で融解した「野次馬」と「報道」の境界 (IT-PLUS)

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT11000010062008

 自分の取材活動は単なる「野次馬」なのか「報道」と言えるものなのか、新聞記者時代は自分の中で容易に答えがでるものではなく、常に「これでいいのか」と悩みながら取材をしていたが、中には「これはゲームだ」と言ってはばからない記者たちもいた。

 誰もが発信できる時代には、これまでマスメディアの人たちが経験した葛藤が誰にも起き得ることを示している。

 そして、誰もが発信できるとなると、「野次馬」と「報道」の違い、そしてマスメディアの正当性も揺らいでくる。はてなブックマークには『マスコミが伝えると「報道の責務を果たす」になって、個人が伝えると「野次馬」というのは軸としておかしい』『「撮っていい人」と「撮ってはいけない人」を分け隔てているのは何だろう。カメラの口径?職業意識?倫理観?「報道」の腕章?そもそもそんなものがあるのだろうか』というコメントがあった。