caprinの更生日記

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西成蜂起について (無産大衆)

http://d.hatena.ne.jp/madashan/20080616/1213635096

出来事そのものを道義的に否定しておいて、でもオマワリを支持するわけではなく、良く知らないけど危ないことはいけません的な寝言を抜かすわけですが、それこそ偽善じゃないんですか。そして、一番不可解なのは、明瞭な政治性を抹消しようとするこの姿勢というか、そもそもそれ以前に政治性を感じ取れていないということです。つまり、彼らは何かを主張していないから判断できない、彼らには社会に向けてのメッセージもなければ要求もない(解放しろ!ってのと謝れ!ってのは「政治性」がないらしいです)、彼らは――すくなくとも、そこで現に闘争している連中は被害者ではない、元々が非常に「劣悪な環境」であるが故の単なる衝突であるが集団的な騒動に発展したというだけのことである――と、そういうことらしいです。

理解しがたいくらいにキモイんですけど。

要するに初めから準犯罪者とみなされている人間たちが集まって騒いだところで、それは出来事として鑑賞する分には十分消費に耐え得るけれども、そこに社会性など見出し得ないし、ましてや政治的な正当性などあるわけがないのです。こうして、実際的な出来事として――つまり、社会的な意味を持つ出来事として判断することを頑なに拒否するわけですが、ここに見られる醜悪さは単なる偽善故ではありません。


■関連リンク ひどい話 (真面目なふざけ、適度な過剰)

http://d.hatena.ne.jp/K416/20080616/1213628018

大阪に住んでいると思われる方々が、「あそこはこういうことは日常的だから」(大意)ってニュアンスでコメントを書かれてて。その反応にもちょっとショック。どういう意図があるのか、ブクマって文字数が少ないから判断しづらいんだけれども。書いてあることだけ読むと、「日常的なこと=よくあることだから、問題化されないのも妥当だよ」ってことなのかと。

 「日常的」ってのが、暴動を指してるのか、それとも警察の人権侵害(としか思えない捜査)を指してるのか分からんけれども。ともあれ、どっちにしても、「日常的に起こってるんなら、『よくあることだよ』と済ましてしまっていいのかしら」という思いが。「日常的に起きてるかどうか」ってことと、「問題化しないでいいか、問題化しないといけないか」ってことは別の問題なわけで。