caprinの更生日記

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ナマケモノでいいじゃないですか (内田樹の研究室)

http://blog.tatsuru.com/2009/12/23_1004.php

だが、恒常的に欠落感を感じ続け、「世界標準へのキャッチアップ」だけでわが身を鞭打ち続けているうちに、日本人は国民的規模で「鬱」になってしまったのである。
現在の日本の不幸の原因は「過労」である。
過労でやつれはて、生きる意欲をなくしている人間に向かって、「さあ、『過労』を克服するために、刻苦勉励しよう」と言い立てるのはあまり賢いふるまいとは思えない。

それだけ病状は深刻なのである。
だから、「休もうよ」と申し上げているのである(と言っている本人がまず休むことが先決なのだが、それができないでつい仕事をしてしまうというところに現代日本の病状の深刻さが露呈しているのであるが)。
私たちの国の言論人は人々に向かって「もっと努力しろ」と告げるタイプの言説しか語らない。
「そんなにむきにならなくてもいいよ。疲れてるなら、少しの間、休もうよ」といういたわりの言説だけが誰によっても口にされない。

 ふぅ、ひとやすみひとやすみ。


■関連リンク 「勤勉革命」を超えて (池田信夫 blog 旧館)

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/af7e965f848079462718c38872fb7ecd

もはや会社のために人生を犠牲にしても、それが報われる保証はない。つぶしのきかない文脈的技能しかもたないまま労働市場に放り出されたら、たちまちホームレスに転落だ。与えられた仕事に「額に汗して働く」のはもうやめ、主体的に仕事を選んではどうだろうか。起業というのは、多くの人が誤解しているように金もうけではなく、自分の好きな仕事をする生き方なのだ。

それはGDPベースでは高い成長率を実現しないかもしれないが、人生の目的は経済成長ではなく幸福だ。日本国民の一人あたりGDPはここ50年で7倍になったが、幸福度は2.9から2.6に低下した。もうそろそろ会社に売り渡した時間を取り戻し、自分の人生を自分で決めてはどうだろうか。


■関連リンク 成長戦略はなぜ不在か (よそ行きの妄想)

http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20091212/1260587716

要するに、日本に成長戦略がないと言われるのはつまり、本当にまったくアイデアすらないというわけではなく、広く国民に浸透し、賛同が得られている成長戦略がないということなのです。

成長戦略というのは、みんなが叶うと思うから叶うというようなところがあって、戦略を共有できた段階で半分くらい成功していると言えます。逆に言えば戦略自体がいくら明確で適切であろうとも、共有できなければほとんど意味のないものです。


■関連リンク 失うことの重要性 (日経ビジネスオンライン)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070618/127677/?P=1

 些細なことで自殺する今日の日本には、十分に幸せなはずなのに幸せになれない人々が、大勢います。理由は簡単です。失う経験がないからです。得ることは当然であり、足りないことを不幸と考えるのです。その足りないことは、他人との比較によって常に作り出しているのです。だから常に不幸なのです。

 これだけ快適な社会に進化してきたのに、自殺者がかえって増えたのは政治や教育のせいだという論調がありますが、僕はこれに同意できません。外部にどんな素晴らしい環境があっても、人の内側に幸せな心を与えることはできません。

 日本ではよくバブル崩壊後の10年は、「失われた10年」だと言います。確かにそうかもしれませんが、しかし、それは必要だったと思います。多くの人々が同意しないかもしれませんが、この10年間で日本の社会は透明性を高め、環境に目覚め、国際化が進み、経済指標では表現できない社会の高度化を成し遂げたのです。


■関連リンク 日本人の国民性の危うい部分を知るべき時が来ているかもしれない (風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る)

http://d.hatena.ne.jp/ta26/20091116

しかも、忌避感は強くても、感情のエネルギーが強いとも思えない。『忌避』し、『自閉』して、現実に直面することをやめてしまったかのような人が多くなっているように思う。企業単位で見れば、今の不況に対して、向かって行くわけでもなく、自己改革や自己研鑽に励むわけでもなく、ひたすら景気循環によって好景気が帰って来るのを座して待つという態度になる。『戦略性/思考』どころではない感じなのだ。

もちろん、私自身、グローバル化礼賛で、猫も酌しも欧米流経営という風潮には辟易していたくちだから、一度冷や水をかぶって火照った頭を冷やした方がいいとは思うが、せめて自分たちが何をしていたのか、何を捨ててしまったのか、そういう自分たち(日本人、日本企業)は一体何者なのか、この機会にじっくりと振り返ってみたほうがいいと思う。日本人なら、何もかも水に流してしまいたいと感じることは、ある程度仕方がないと思うが、少しだけ踏ん張ってみてはどうだろうか。今は本当にそれが必要な時期なのだから。