ボカロは現代の浮世絵か!?
浮世絵化するJ-POPとボーカロイド 〜でんぱ組.inc、じん(自然の敵P)、sasakure.UK、トーマから見る「音楽の手数」論 - 日々の音色とことば
じゃあ、たとえばどんな曲がそういう「浮世絵的な進化を遂げたJ-POP」なのか。今のシーンでいうと、そういう感性を一番感じさせてくれるのが、でんぱ組.inc。新曲「でんでんぱっしょん」は、まさにマーティ・フリードマンが言う「あえてハッピー、あえて派手、あえてカラフル」という言葉をそのまま形にしたような一曲。
それぞれインタビューでは、じん(自然の敵P)は邦ロックとアニソン、sasakure.UKはゲームミュージックと男声合唱、トーマはポスト・ハードコアがルーツにあると語っている。影響を受けた音楽は違っていても、作ってくる曲に「手数の多さ」「メロディの細密さ」という同じ特徴が見受けられる。おそらくボーカロイドというソフトやニコニコ動画という視聴環境のアーキテクチャが大きな影響を与えているんだと思う。だとするならば、これ、間違いなく日本独自の状況だ。
暗黒の厨二病時代、洋楽厨だった私はメガデスのマーティ・フリードマンにJ-Popを肯定してもらえるまでJ-Popをまともに聞けなかったな。いや、それなりにたくさん聞いてはいたけど、洋楽よりも格下に見ていたというか……。浮世絵も日本国内よりも海外で評価されてやっと日本で再評価されたわけだけど、今のガラパゴス状態のJ-Popも状況的には似た所もあって面白い。
ボーカロイド曲はVocalパートがサンプリングされた音声合成という制限はあるが、それを除けば音楽的なジャンルはなんでもありなので、若者が支持する流行り曲を追わなければ意外とケレン味ある楽曲も探せると思う。下手に洋楽コンプレックスを抱くより、自分が好きなジャンルを好きに表現出来る若い人が羨ましいぞ。
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そんな内田裕也および『SATORI』の時代がかった力みとは真逆に、とことん「日本のまま」でいることで海外進出を果たした、現代のガラパゴス・ミュージック。音楽的にも人間的にも絶望的なまでに接点がない両者ですが、しかし、案外似てるところもある気がします。「今の日本を生きる私たちの日常感覚」とやらに基づいた音楽が今でも日本以外であんまり相手にされないのに対し、「日常感覚」と若干距離がありそうな両者は世界に受け入れられたあたりが。「外」へ出た途端に露になる「日本らしさ」のややこしさを、全身で体現してるあたりが。